登山家って…(2025年6月30日)

登山家って…(2025年6月30日)

兄夫婦の知人ということで、ある登山家の講演に出席した。

地域密着型のプロパンガス会社の社長で、

登山をしているという情報しかないまま席に着いた。

特に何の期待もなく、趣味が高じて日本の名山を紹介するのだろうくらいに思っていた。

ちなみに、私自身登山にはまったく興味がない。

そこに山があっても、私は登らない。

どこかにエレベーターはないかと探すタイプだ。

そんな登山とは無縁の私が、2時間の講演後に

「パンドラ山の氷壁を登ってみたい」と血迷うくらい面白いお話だった。

講演者の大石明弘氏は、静岡で家業を継ぐまでは、

山と渓谷社で編集者、山岳ライターとして活躍していた経験がある。

そして、世界的なアルパインクライマーでもあった。

学生時代21歳で、ヒマラヤのチョー・オユー(8188m)の

無酸素登攀(とうはん)を親友の平出和也氏と計画、登頂に成功している。

また、のちにクライミング界のアカデミー賞と言われる

ピオレドール賞を女性で初めて受賞した谷口けい氏とともに、

カナディアン・ロッキーの氷瀑に挑み続け、

ヨーロッパアルプスでのミックスルートなどを経験。

その谷口けい氏が成しえなかった

ヒマラヤの未踏ルート・パンドラ山に挑み、北東壁を登攀。

垂直1500mの氷壁を4日かけて突破。

途中わずか1.2mの岩棚で仮眠をとり、仮死状態に耐えながら登頂に成功している。

数々の記録とともに、大石さんが背負っている悲しみの大きさもハンパない。

アラスカのハンター北壁訓練中、

ベースキャンプで大石氏の帰りを待っていた平賀淳氏がクレパスに落ちて喪失。

ほかにも親友の平出和也氏、谷口けい氏も遭難で亡くしている。

彼の隣にはいつも死がある。そして、その先に生がある。

彼にとって、「生きること」と「死ぬこと」は常に表裏一体。五分五分の状態にある。

「だから、生きることを満喫できるんだ」。

極めた人にはきっと鮮やかな生が見えているのだろう。 そんなことを思うと、少し嫉妬してしまう。

大石明弘著『太陽のかけら アルパインクライマー谷口けいの軌跡』(山と渓谷社)
写真は、ヒマラヤ・メラピーク

N.O